昨日から少し冬らしい?天気になってきました。
風が冷たく、底冷えがします。
今まで家の中では裸足でしたが、靴下とスリッパを履いています。
(例年なら冬は靴下を履くんですが、今年は暖かくて・・・)
「兵庫七福神めぐり」の続きです。
薬仙寺を出て北へ。
兵庫運河を越えると、清盛塚と琵琶塚がありました。
清盛塚 ↓
清盛塚と呼ばれる石造十三重塔は、1286年に建てられた供養塔で、
清盛の遺骨が納められているという説がありましたが、
1923年(大正12年)の発掘調査で清盛の墓ではないことが
明らかになりました。
それなら清盛のお墓はどこにあるのか? と思い調べました。
神戸市のサイトには、2説紹介されていました。
①『平家物語』
清盛の遺体は愛宕で火葬にふされ、遺骨は側近の円実法眼
(えんじつほうげん)が頸にかけて摂津の国に下り、経ヶ島に納めた
と書かれている。経ヶ島は清盛が大和田泊(おおわだのとまり)
(現神戸市兵庫区の兵庫港あたりに作った港)を改修したときに
築いた島。
②『吾妻鏡』
遺言によって遺骨は播磨国山田の法華堂に納められたと書かれている。
播磨国山田は現在の神戸市垂水区西舞子町の山田川付近にあたり、
明石海峡を臨む景勝の地。平氏にとって海陸の拠点のひとつ。
清盛塚は清盛のお墓ではないことがわかりましたが、今も大切に供養
されていて、清盛ゆかりの地として地域で大切にされているのだな
と思いました。
琵琶塚 ↓
平家物語に登場する琵琶の名手・平経正(たいらのつねまさ)が
琵琶と共に埋葬されたという伝説があります。
隣には平清盛像(1968年) ↓
ここから歩いてすぐ福禄寿ゆかりの真光寺に着きます。
真光寺(福禄寿)
本堂 ↑
真光寺は時宗の開祖である一遍が亡くなった場所に建立された寺院です。
かつてこの寺の東側には須佐の入江と呼ばれる入海が広がっていました。
一遍は「おどり念仏」と呼ばれる布教方法で全国を遍歴しました。
敷地の広いお寺です。
無縁如来塔 ↑
福禄寿のお人形は社務所でいただきました。
福禄寿は「実子の恵」「財産」「長寿健康」の神。
福・禄・寿の三体が合わさったとされる。
寿老人と同体とされる場合もある。
背後の鶴は何?
真光寺の隣の須佐野公園にある「和田の笠松」 ↓
案内板には、
和田の笠松は往時須佐の入江の浜にそびえ、 入港船の目標となり、東西往還の目印の松ともなっていた。
とあります。
当時の松は戦災で焼失してしまい、この案内板と藤原為家の歌碑があるだけです。
3寺社回ったところでお昼どきになりました。
兵庫七福神めぐりは短時間で回れるぶん、途中でご飯を食べたり
休憩するところがありません。
トイレも寺社では開放していないので、困ります。
スタート時は駅で必ずトイレに行っておくとしても、
なかなか冬場は厳しいです。
新川運河を渡って海側へ行くと、中央卸売市場があります。
その向かいにとても大きなイオンモールができたので、
そこでご飯を食べたり、休憩、トイレをすませることができます。
4つめの能福寺の前に東へ折れてイオンモールへ向かいました。
運河のたもとに「清盛くん像」があります。
清盛くん ↓
向こうに見えるのがイオンモール。 ↑
イオンモールの3Fフードコート(フードフォレストだったかな)で
おそばを食べました。
ここのフードコートは広くて、お店も私が見た中では一番たくさん
種類がありました。
おそばのお店なのに、カレーやから揚げ定食なんかもあって、
何にするかだいぶ迷いました。
結局親子丼とざるそばのセットにしました。 ↓
祝日だったので家族連れで大賑わい。
フードコート以外にも1Fに飲食店がたくさんあります。
トイレもすませて、いざ後半。