もりっちゃんのゆるブログ

楽しく、でも真面目に。 そんなブログを書いています。

日本刺しゅうのブローチ

寒いよ~\(◎o◎)/

今朝は寒くて目が覚めました。

風邪を引きそうです・・・

このところ、 晴れていても急にパラパラと雨が

降り出す不安定なお天気が続いています。

春本番が待ち遠しいです・・・

 

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3年くらい前に買ってしまっておいたキットを

仕上げました。

日本刺しゅう(を簡単にしたもの)で季節の花を刺した

ブローチです。

クリップ型と安全ピン型の2タイプあります。

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左から1月から6月の花で、

梅、椿、桜、藤、あやめ、紫陽花。

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下段は、左から7月から12月の花で、

向日葵、撫子、萩、菊、紅葉、南天です。

日本刺しゅうは、よりのかかっていない絹糸に

よりをかけ、固定された木枠に絹の布を

ピンと張って刺し進めていきます。

今回のキットでは、糸も布もポリエステルで

糸のよりも、予めかけてあるのを使っています。

 

花がモチーフだと作っていても華やかな気分に

なりました。

こちらの桜もそろそろ満開。

花見ができるような暖かい春の日を待っていますよ~

 

尼崎の街探検ハイキング その2

昨日の雨は激しくてびっくりしました。

今日は晴れましたが、ときたま雨のちらつく

不安定な天気です。

 

さて、尼崎のハイキングの続編をアップします。

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貴布禰神社に着いたのは12時過ぎ。

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お参りをすませて、隣の貴布祢公園で昼食休憩です。

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少し晴れ間も出てきましたが、まだ寒く、そそくさと

食事をすませて公園を出発しました。

 

公園を出て東へ歩き、「世界の貯金箱博物館」に着きました。

ここと尼信会館は尼崎のハイキングではお決まりの

立ち寄りポイントです。

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貯金箱博物館のお隣、尼信会館では墨絵と陶芸の作品展を

鑑賞し、お手洗いもお借りしました。

尼信会館の北側は寺町。 ↓

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東へ少し歩くと開明中公園。 ↓

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床下川にかかる開明橋の向こうは尼崎中央図書館。 
 ↓

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道路を挟んだ南側は以前行った櫻井神社。 ↓

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中央図書館の南側に「契沖生誕の比定地」の碑がありました。

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契沖は江戸時代のお坊さんです。

1640年に尼崎に生まれ、11歳で出家し62歳で亡くなりました。

真言宗の僧侶として「阿闍梨」という高い僧位を得、

万葉集などの古典注釈や仮名遣いの研究において、

画期的な業績を残した古典学者として知られています。

 

そしてこの碑の奥には、復元されたばかりの尼崎城が見えました。

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この日(3/24)は公開直前で残念ながら見学はできませんでしたが、

みなさん図書館の階段を登って撮影されていましたよ(^^)v

29日(金)から一般公開になっています。

 

あとは東へ歩いて大物主(おおものぬし)神社が最後の

ポイント。

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大物主命(おおものぬしのみこと)は、国土形成、医薬、

酒造り、男女の結びつき、目に見えない運命など

さまざまなことを司る神様だそうです。

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お参りをして約1㎞北上すると、ゴールの阪神大物駅。

初回参加記念にブルーのキャップ帽をもらって

解散です(^^)/

 

ハイキングには少し肌寒いお天気でしたが、近づく春の

兆しに心浮き立つ思いもした一日でした。

 

歩程:約10.5㎞

 

尼崎の街探検ハイキング その1

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3月もとうとう終わり。 桜も五分咲きくらいになってきました。

せっかくの花見時、寒気が下りてきて肌寒くなってきました。

先週末も寒かったのですが、がんばってハイキングに行って

きたのでアップします(^^)/

 

3月25日(日)、家から近い阪神尼崎センタープール前駅北の

水明公園に集合。

「あましん・阪神沿線そぞろあるき」の第1回だったので、

参加者も多く駅から公園までも人でいっぱいです。

最終的な参加者数は3000名近くになりました。ひえ~

 

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駅の北側は競艇場。センタープールのプールは人が泳ぐプール

ではなく、ボートがレースをするところです。

水明公園を出発し、西へ。大庄西町4丁目交差点で南へ。

そのままずーっと南下して阪神電車の高架をくぐり

43号線の歩道橋を渡り、元浜交差点で西へ折れます。

一つめの四つ角を南へ下ると尼崎運河のひとつ、西堀運河に

出ました。 ↓

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この日の午前中は曇っていて、写真も暗いです・・・

尼崎の運河は全部で5つあり、このあとも登場しますよ。

西堀運河に沿ってまだまだ南下。

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運河の西側。張られたネットはゴルフ練習場。その左手奥に

私の住む団地群が見えます👀

係留中の釣り船も何隻か。

 

尼崎スポーツの森に着きました。

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公式プール(50m・25m)(人が泳ぎます(笑))、

ウォーターパーク アマラーゴ、フットサル場、

グラウンドゴルフ場、フィットネスジムなどいろいろな

施設があります。

2006年(平成18年)の のじぎく国体のために整備されました。

 

尼崎スポーツの森の南側は尼崎の森中央緑地です。

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だだっ広い芝生広場。 

ここが一つ目の昼食ポイントでしたが、あまりに

吹きっさらしで寒いので、次の昼食ポイントまで

がんばって歩くことにしました。

でも次の昼食ポイント貴布禰公園まで地図では4.7㎞と

あります・・・(^^ゞ

 

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↑ 「ゐなの花野」

万葉の時代、伊丹から尼崎にかけての台地を「猪名野」、

尼崎の海を「ちぬの海」と呼んでいました。

四季の野草を楽しめるエリアになっています。

まだ寒いせいか花はありませんでした・・・残念。

 

このあたりはもともと神戸製鋼など工場地帯でしたが、

阪神淡路大震災後、移転したりして再整備されたことろです。

なんと私の持っている道路地図、スーパーまっぷる

2000年版ではまだ海だった部分が、今回歩くと陸になって

いたりしました。びっくり!です。

 

尼崎の森中央緑地を出て、北へ。

末広町西の交差点を東へ、末広町1丁目の交差点を北へ。

大浜の交差点を東へ。

今回2つめの運河、中堀運河です。 ↓

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中浜町の交差点を北へ。

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3つめの運河、北堀運河に出ました。↑ 

今まで3つの運河を紹介しましたが、あと2つは南堀運河と

東堀運河があります。

これらの運河は、臨海地域の工場にかかわる材料や製品の

運搬のために整備されたものですが、今はボートやカヌーを

楽しんだり、サイクリング、環境学習にも利用されています。

毎年10月には運河博覧会「うんぱく」が開催されています。

周りは工場地帯ですが、運河はきれいでこれからの時期、

散歩するのにちょうどいいと思いました。

北堀運河に沿って東へ。

 

蓬川(よもがわ)に出たところで北へ。

蓬川を渡り、西高洲町の交差点を北へ。

あとは43号線まで北上です。

43号線の歩道橋を渡って東に少し歩いたら、貴布禰神社

着きました。

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お参りを済ませたら、お隣の公園でやっと

お昼休憩です🍙🍵

では後半は次回に。

 

 

Welcoming アベノ・天王寺ハイク その3

3月に入ってから雨が多く、肌寒い日が多いですね。

天気のせいではないけれど、気持ちが沈む日が多くて

まだまだ春らしいワクワク気分にはなれません・・・

この不安定さが春なのかな。

 

間があいてしまいましたが、「Welcoming アベノ・天王寺ハイク」の

最終回をアップします(^^)/

 

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茶臼山は、788年和気清麻呂上町台地を東西に流れる堀川を掘り、

周濠に水を引こうとしたときに掘り返された土を積み上げた名残りの山だと

言われています。

大坂冬の陣では徳川家康が、大坂夏の陣では真田幸村が布陣しました。

大坂冬の陣

1614年徳川方と豊臣方の関係が悪化する中、7月京都方広寺梵鐘の

銘文が徳川家康の怒りをかい、このことが大坂の陣の発端となる。

家康は茶臼山に本陣を置き、約20万の大軍で大坂城を包囲したのに

対し、豊臣方は約10万で大坂城に籠城する。

12月には和睦が成立するが、徳川方の条件は大坂城の外堀を埋める

ことだった。この条件が夏の陣の大敗を呼ぶ。

 〇大坂夏の陣

1614年和睦の翌日から堀の埋め立てが始まり、外堀だけの条件が

破られ家康は内堀まで埋めてしまい、再び両家の緊張が高まる。

1615年4月樫井の戦い、5月5日道明寺・八尾若江、

7日天王寺口の戦いと再び決戦の火ぶたが切って落とされた。

徳川方約15万に対し、豊臣方約5万5千で応戦。真田幸村木村重成

本田忠朝など名だたる武将が討ち死にした。8日大坂城は落城。

秀頼と淀殿は自害し、豊臣家は滅亡。戦国時代最大にして最後と

言われる戦いは終焉を迎えた。

 

茶臼山でのお昼休憩のあと、谷町筋を南へ。

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ハルカスを左手に見ながら阿倍野方面へ入り、大阪市立大学附属病院、

阿倍野墓地の西側をどんどん南へ。

 

去年(2018年)3月23日に参加したハイキングと同じ道を通って、

聖天山公園でトイレ休憩。

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この公園は古墳で小高い丘になっています。

公園の南西に正圓寺があります。

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また階段・・・(;'∀')

 

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本堂。ブレブレやな。

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聖天山山頂の標識がありました。

 

正圓寺を出て、松虫通を東へ。

阪堺電車の線路の手前に松虫塚があります。

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ここも前回のハイキングで訪ねました。

古書「芦分船」には後鳥羽上皇に仕えた松虫、鈴虫の官女が

法然の念仏に発心し庵を結び隠棲したした所と

伝えられています。

 

阪堺電車に沿って北へ。正面ハルカスです。

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 ↑ 白手袋をした指が写りこんでしまいました。心霊写真みたい・・・

このまま阪堺電車に沿って北上し、あべのキューズモールで

解散になりました。

今回のハイキングは協賛があって参加費が無料、

ゴールでは記念品がもらえました(*^-^*)

保冷バッグです♪

 

天王寺七坂の上り下りはしんどかったけれど、大阪の意外な高低差を

感じることができました。

大勢でにぎやかなハイキングでした。

 

歩程:約11㎞

 

 

 

 

Welcoming アベノ・天王寺ハイク その2

昨日は冷たい雨、今日は一転いいお天気になりました。

一日ごとに気温が上下するので体調管理に努めなければ。

 

アベノ・天王寺ハイクの続きです。

四天王寺さんを出て谷町筋を北へ歩きます。

ほどなく、赤穂浪士で知られる浅野氏の菩提寺、吉祥寺に着きました。

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壁の白黒模様は着物のだんだら袖を表しています。

 

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四十七義士のお墓。

 

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四十七義士の像。逆光ですみません<(_ _)> 

みなさん討ち入りの姿だそうでポーズがさまざま。

 

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大石内蔵助像。

 

吉祥寺を出て谷町筋の西側へ渡り、生玉寺町の中を北へ。

早くもお墓参りの車でいっぱいでした。

ここからは天王寺七坂を上り下りしながら再び南へ向かうのですが、

しょっぱなの真言坂が修復中で通行止めでした。

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この写真の奥が北。南を振り返ると生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)。

生國魂神社は地元では「いくたまさん」と親しまれる神社です。

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ちなみにハイキングでは寺社にお参りすることが多いので、

お賽銭のために財布を出し入れせずにすむよう、リュックの腰ひもの部分にある

ポケットに小銭を入れています。

ダッシュでお参りし(これでご利益があるのか(^^ゞ)、トイレ休憩。

 

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東側の鳥居。大きくて立派です。

鳥居を抜けて南へ下り、二つ目の天王寺七坂、源聖寺坂を目指します。

天王寺七坂は、上町台地と呼ばれる大阪の中心部から西側の海だった部分に

かけての傾斜地にかかる七つの坂道のことです。

 

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 ↑ 源聖寺坂

東から西へ下っています。このあと急な階段になっています。

登り口(西側)に源聖寺があることからこの名前が付いています。

 

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 ↑ 口縄坂
今度は西から東へ上ります。大阪の方言で蛇のことを口縄と言うそうです。

下から見上げると蛇の腹のように見えることから名づけられました。

 

 ↓ 愛染坂

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降り口(東側)に愛染堂があることから名づけられました。

 ↓ 愛染堂

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 ↓ 清水坂

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東側から登ります。登った先(西側)に新清水寺があります。

清水寺の本尊は京都の清水寺別院にあった千手観音で、音羽の滝を模した

玉手の滝があるそうです。

 

 ↓ 天神坂

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東から西へ下った先、南側に安居神社があり、菅原道真を祀っています。

安居神社真田幸村が戦死したところと言われており有名です。

幸村ゆかりの地を訪ねるハイクで何度か行っていますが、ブログで

紹介したかしら? また個人的に行って紹介しますね。

(ものすごい階段を登るのです。それだけは覚えています)

 

この天神坂の途中に安井の清水(天王寺七名水のひとつ)が

ありました。

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 ↓ 逢坂

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この坂だけは幹線道路(R25)になっています。

四天王寺の参詣道として利用され、逢坂の関になぞらえて呼ばれています。

 

一心寺さんの前から天王寺公園に入り、茶臼山の上で昼食休憩です(^^)/

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茶臼山は大阪五低山のひとつだそうで。

最低山といえば、去年ハイキングで行った昭和山は?

鶴見緑地の鶴見新山は?

 

後半のハイクはまた次回。








 

 

 

Welcoming アベノ・天王寺ハイク その1

今日はひな祭り。

今年もおひなさま、出さなかったなあ。ごめんなさい<(_ _)>

特にちらし寿司やはまぐりのお吸い物も作らず、いつも通りの

日曜です(笑)

 

昨日、大阪府歩け歩け協会主管の「Welcoming アベノ・天王寺」という

ハイキングに参加してきました。

今年‘初’のハイキングです。

久しぶりでちょっと今日は筋肉痛(^^ゞ・・・

 

集合は9:50に天王寺公園のてんしば。

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最初にお詫び。今回の写真はいつもに増して‘雑’になりました。

歩きながらの撮影(実際は止まっているのですが(笑))が

久しぶりだったのと、相変わらず歩くペースが遅いので

みなさんに追いつくのが大変で。

 

受付(参加費は無料。緊急連絡のため住所と名前、電話を記入)をして、

地図とゼッケンを受け取ります。

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参加者は300数名。この人数での集団歩行はなかなか壮観で、

道行く人も「何や何や」と振り返ります。

 

てんしばを出て天王寺駅側に渡り、四天王寺の方へ向かいます。

途中、庚申堂に寄りました。

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門の暖簾(?じゃないよね(^^ゞ)お猿さんになっています。

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庚申(こうしん)講や庚申会、庚申待、庚申祭などいろいろな呼び名が

あり、庚申信仰奈良時代に大陸から伝わった古い信仰です。

今回調べてみましたが、詳しくはちょっと難しいので簡単に説明してみますね。

まず、「庚申」は十干十二支(じっかんじゅうにし)のひとつです。

丙午(ひのえうま)や甲子園の甲子、戊辰戦争の戊辰もそうです。

十干・・・甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸

十二支・・・子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

10×12=60通りの組み合わせがあり、年号、日付のほか、単体で時間や

方位も表します。

庚申の日は60日ごとに来るので、年に6~7回あることになります。

 

庚申の信仰は道教の教えからきています。

庚申の日の夜、人が眠りにつくと体内に住む三尸(さんし)呼ばれる

虫が体から抜け出し、その人の悪い行いを司命道人(生死をつかさどる

神)に報告し寿命を縮めると言われています。ひゃあ~怖いよ。

そこで庚申の夜は身を慎み徹夜する信仰が生まれました。

三尸虫と呼ばれる虫は、上中下の三種類いて、

上尸・・・頭にいて目を悪くしたりシワを作ったり白髪を増やす

中尸・・・腹にいて五臓を害し食欲を強くする(強くしたらアカンのや)

下尸・・・足にいて精を悩ませる

 

もともとは道教で説かれた教えですが、仏教や修験道神道など

さまざまな信仰や習慣が混じり、特異な信仰となっていきます。

庚申が最も盛んだった江戸時代は、仏教的庚申信仰が中心で、

残されている尊像は青面金剛を本尊とし、三猿(見ざる聞かざる言わざる)

の像を祀る形式が一番多いようです。

 

で、四天王寺の庚申堂は日本最初の庚申尊出現の地で、本尊は

青面金剛童子秘仏)。

庚申の縁日には境内にお店が出て賑わうそうです。

 

庚申堂を出て北へ。すぐ四天王寺さんです。

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南大門から入ります。

 

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正面は中門。この中は中心伽藍になっていて、有料です(^^ゞ

伽藍に沿って東へ回り込みます。

振り返るとこんなものが。↓

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南鐘堂 ↓

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ここで北へ。

六時礼賛堂 ↓

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昼夜6回礼賛が行われるところです。

 

境内では梅がほぼ満開。

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とりあえず今日はここまで。このあとコースは、生國魂神社天王寺七坂、

茶臼山、聖天山を回って再び天王寺に帰ってきます。

続きは次回(^^)/






 

フェルメール展へ

3月になりました。

今年は2月の半ばから花粉が飛び始め、今ピークのようです。

花粉症のかたは苦しそうですね。お見舞い申し上げます。

私も季節の変わり目はじんましんがひどくなるので辛いです(T_T)

 

昨日は雨の中、天王寺大阪市立美術館へ「フェルメール展」を

見に行きました。

東京展のあとの巡回で、ホームページでも混雑についての注意が載って

いました。

(トイレやロッカーは駅のものも利用してください など)

わざと雨の日を選んで、比較的すいているという10:00に到着。

それでも皆考えることは同じなのか、そこそこの混みよう。

 

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ロビーのパネルは撮影OKですが、混雑時はNGになるかもとのこと。

ここでフェルメールについて少し。

ヨハネス・フェルメールは17世紀オランダの画家。

「牛乳を注ぐ女」や「真珠の耳飾りの少女」などは美術や

歴史の教科書にも取り上げられ有名です。

光の魔術師とも呼ばれるフェルメールの絵は、部屋の左側にある窓から

光が差し込み、光が当たる人の肌や洋服、調度品までもが臭いや

質感を持って感じられることが特徴に思います。

寡作で知られ、現存する作品は35点と言われています。

そのうち10点が今回日本に来ましたが、大阪では6点が展示されています。

(東京展のあと4点が帰国?しました)

 

フェルメールの作品は展示室の最後に集められていて、それまでは

フェルメールと同時代のオランダ絵画を鑑賞しました。

肖像画、神話画、宗教画、風景画、静物画、風俗画の順に並んでいました。

 

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お土産に図録と缶ケースを買いました。

缶ケースにはミントタブレットが入っていました。空きケースは

手芸用にします。

図録の表紙は「牛乳を注ぐ女」ですが、残念ながらこの絵は帰国?

してしまって見られませんでした。

缶ケースの絵は「手紙を書く女」。なかなか個性的な髪形(#^.^#)

 

さて、今月からはぼちぼち外に出て動かないと。

もりっちゃん、そろそろ冬眠から目覚めることにします(笑)